眉月じゅん先生に関して色々調べました。
このこのマンガがすごいWEBに載っている読み応えのあるロングインタビュー記事などからいろいろとわかったことがあったので書いていく。
眉月じゅん先生の作風のバックグラウンド
やはり少女漫画が核になっているということ
これは作風からも分かることだが、少女漫画から影響を受けているという。
よく読んだ雑誌は「なかよし」、そしてなにより「りぼん」であり、具体的な作品としては「ちびまるこちゃん」「赤ずきんチャチャ」をはじめ、谷川史子先生の作品などいろいろ影響を受けた作品について挙げている。
とりわけ矢沢あい先生の「天使なんかじゃない」にガッツリとハマったとのこと。
現在の眉月じゅん先生のコマの中で遊んでいるような描き文字や、わいわいやっている感じなどは矢沢あい先生の作品からの影響と言って良く、ご自身の漫画制作のルーツがここにあると自覚されているという。
遊び心いっぱいで、人が集まっている場面ではとても賑やかな印象があり、読んでいて面白いのはそういうわけかと思った。
青年漫画からの影響
あと、少女漫画ばかり読んでいたわけではなかったようです。
「多重人格探偵サイコ」には特にハマり、「ベルセルク」「お茶の間」などを挙げている。
恋は雨上がりのようにの本編でも吉澤が友達とベルセルクのキャラであるグリフィスやピピンといった単語を出して会話している。
現在ハマっているのはジャンプで連載中の「僕のヒーローアカデミア」。
そして、お母さんの影響でくらもちふさこ先生、大島弓子先生、山岸凉子先生、お父さんの棚にある「AKIRA」「ハッピーマニア」「ラブマスターX」など、多数。
ラインナップを見ると、結構硬派なものが多い。
その他、具体的な作品名は挙げられていないが、その他も多くの漫画を幅広く読んできたという。
このラインナップを見て、眉月じゅん先生の描くミステリーやバトルが読めたら面白いなと思った。
そういったジャンルが似合わない画風だからこそ見てみたい。
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漫画家を志したのは小学生の頃
矢沢あい先生の「天使なんかじゃない」から感じた熱量から、周りの誰に言うでもなく漫画で金を稼いで生きていくと決めたという。
しかし中学生の頃から読む漫画がそれまでの少女漫画中心からグンと幅が広がり、何年もの間、自分が一体何を描きたいのか見失ってしまっていたという眉月じゅん先生。
しかしそんな中でも絵の練習は欠かさなかったのだろう。
原稿用紙に最初に描いたのが現在の恋は雨上がりのようにの原型となった短編で、それを週刊モーニングに持ちこむと「ちばてつや賞」に出すことになり、なんと入賞まであと一歩のところまでいったのだという。
はじめて描いた、というのがひょっとしたら他にも原稿はあるけど告白していないというだけなのかもしれないが、そのまま受け取るなら非凡な才能があるということになる。
小学生のころから漫画家を志していたから日常で自然と漫画家になることを意識して生活することで、無意識に訓練を行っていたのではないだろうか。
漫画家のしりあがり寿先生のアシスタントをしながら描いたという「さよならデイジー」で集英社の「金のティアラ大賞」で銅賞に輝き、その後も読み切りの掲載を経て現在に至る。
眉月じゅん先生の性別! 男? 女?
女性です。
いやー、女性で良かった。
よく、女性なのに男性作家装ってるパターンあるでしょ? で、それがわからないことが結構多くて。
だから眉月じゅん先生も男性作家が女性を装ってるパターンがあるかも、なんて思ってたわけ。我ながら疑い過ぎ&鈍すぎ(笑)。
でもまぁ、ネット上の情報やインタビュー、雑誌に載っている感じでは女性と断定しても良いと思った。
近藤風に言うと、「いや~ヨカッタ~」。
まぁ、絵柄や女性の描写の仕方なんかから女性作家であることは分かっていたけどね。
最近ようやくツイッターをたまにチェックするようになって、そのツイッターの内容からも女性であることはわかるんだけど、でも万が一ということがあるし……。
じゃあ、なぜこんなに女性であることにほっとしているかというと、「もし男が描いていたら……。う~ん」と思ってたから(笑)。
なぜ?
だってあまりにも都合が良過ぎる物語じゃん?
漫画が都合の良い妄想でも別に良いんだけど、なんか都合が良過ぎると恥ずかしくなってくるというか。
見目麗しい女子高生が取り立てて魅力のあるように見えないおっさんに恋するファンタジーだよ?
これを仮にいい年こいたおっさんがシコシコ描いていたらこんなに悲しいことってある?
しかもそれを同じおっさんがホクホクしながら読むんだぜ?
このマンガがすごい「男性」ランキングの上位に入賞した作品なんだぜ?
これって、考えただけで悲しくなる構図。
でも、そこに眉月じゅん先生が女性作家だと確信できる情報。
女性が描いているならしょうがないよね、と世の中に対して言い訳が出来る。
ものすごく情けないけど「これ、女性作家が描いているから」と恋は雨上がりのようにを真剣に読んでいる俺を白い目や生暖かい目で見る世間に堂々と宣言できるわ。
眉月じゅん先生という女神が餅を撒き、俺らおっさんがそれにわらわら群がっているのだ。俺はこの構図にならなんとか耐えられる。
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作者がおっさんじゃダメってこと?
いやいや、おっさんが純愛書いちゃだめってことは全然無いんです。
そういう名作っていっぱいあるよね。
それに、おっさんがエロを描くのも納得できる。願望が直で清々しいし。都合が良過ぎても「悪いか!」と読み手が開き直れるパワーがある。
ただ、恋は雨上がりのようには基本的に女子高生が一方的におっさんを純粋に求めるという、言ってみればあまりに都合が良過ぎる物語。
一人で、部屋で読んでいてもたまに気恥ずかしささえ覚えてしまうのは自意識過剰なのかな。
ぶっちゃけ、俺は外で読むならド直球のエロマンガの方がまだ吹っ切れて読むことができると思う。
恋は雨上がりのようには読んでいるのが恥ずかしくなる作品ではない。読んでいる俺が恥ずかしいのだ。
作品に俺という存在が食われる感じ。分からないかな。っていうか、俺も書いててイマイチ分かってない。
エロマンガを外で読んでいるのを女性に見られて冷たい視線を受けても、それは公衆の面前でエロ本読みやがって、このエロオヤジが、という蔑視の視線であり、まだ耐えられる。
なぜなら覚悟の上だから。
しかし恋は雨上がりのようにの純愛物語、それもおっさんが女子高生を求めるのではなく、女子高生がおっさんを求めるというファンタジーを堂々と読んでいたら、どんな反応をされる?
いい年こいて頭の中がお花畑のおっさん、妄想野郎、ロリコン野郎とキケンな印象が妖刀の醸し出す妖気の如く全身から立ち上っているように見えはしないか?
しかしそれ以上に、恋は雨上がりのようにの内容を知っている女性、そして男性が、俺が恋は雨上がりのようにを堂々と読んでいるところを見たら「ハン」と鼻で笑うだろう。あるいは「学生時代充実してなかったんだね」という同情の目で見るかもしれない。
俺はそれがありありと想像できてしまうのが耐えられないのかもしれない。
ゆえに、恋は雨上がりのようにのようなファンタジーは家で一人でこっそり、じっくりチェックしたい。
カンチガイしないでもらいたい。別にエロマンガを外で読めるなんて微塵も思ってない。
ただ、大事な人を人質にとられて、助け長ければどちらか一冊を外で人の目につくようにして読めと究極の選択を迫られたらエロマンガを選ぶかもしれないというだけだ。
……別に本を読むときに人の目、世間の目なんか考える必要なんてないと思うんだけど、どうしてもふとした拍子に考えてしまう。
恋は雨上がりのようには俺にとって面白い作品であり、同時に俺の心の中の極めて脆弱な部分をコナゴナに破壊しかねない爆弾でもあるということだ。
究極的には、その内容がご都合主義に満ちた展開であっても作家と言うのは読者に夢を見せるものでもあるから要は読者が楽しめれば良いわけなんだけど。
ただ、俺自身が眉月じゅん先生が女性であることにいくらか救われたというごく個人的な、くだらないハナシです。
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